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京都地方裁判所 昭和29年(行)9号 判決

原告 三宅英太郎

被告 京都府知事

主文

別紙目録記載の土地につき買収並に売渡の各登記抹消手続を求める訴はこれを却下する。

別紙目録記載の土地につき被告が為した買収処分並に売渡処分は無効であることを確認する。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は主文第二項と同旨並に被告は右土地につき為したる買収並に売渡登記の抹消手続をせよとの判決を求め、その請求原因として、

一、別紙目録上欄記載の各土地はいづれも原告の所有であつたところ京都市洛北地区農地委員会は右土地を自作農創設特別措置法(以下自創法と略記する)第三条第一項第一号に基き昭和二十二年七月二日を買収期日とする買収計画を立て同時に同日を売渡期日とする別紙目録下欄の如き売渡計画を樹立した。而して被告知事はこれに基いて買収し右下欄記載の如く分筆し売渡す処分を為し、それぞれその登記を経た。

二、しかしながら右買収及び売渡処分は左の理由により無効である。

(1)本件土地は農地ではない。

本件土地はもと今井河原町十番地の一部であつて、十番地の一は一町三反五畝十歩の畑であつたが、今より五十年余り以前に加茂川の洪水の為、表土も底土も全部喪失して河原となつてしまつたので当時の所有者が河原の砂礫を盛上げ面積を確保したもので農作物を栽培することはできず農地としては全然無価値であつたから今より約五十年前に松を植え爾来松林になつていたのを漸次分割して宅地化してきた。被告が買収したのはこの残地の松林である。又大正十五年十月頃今井河原十番地内には総面積二百八十五坪七合二勺の深さ一尺四寸乃至四尺九寸平均二尺四寸の窪地があり、これを原告先代等がその頃百九十三立方坪の土砂を盛土して宅地化したことがある。かように本件土地は荒蕪地の松林であつて買収当時には約五十年生の松が全面的に密生していて何人の眼にも一見して農地と云えないこと明瞭な状態に在つたのである。かような一見して農地と云い得ない状態の本件土地を敢えて買収するに至つたことについては次のような事情が在る。即ち当時六三制義務教育制度の実施に伴い中学校(現在の加茂川中学)の校舎建設の為敷地買収の必要あり、買収の主体は京都市なるも敷地買収の実施については地元有力者に於て市当局に協力して被買収者との間を斡旋尽力して買収を容易ならしめる実状であつた。而して中学校敷地の被買収者中には替地を要求し替地がなければ買収に応じない強硬な者があつたのでこれら替地要求者に与える替地の提供を頼まれた農地委員会(委員中にも中学校の敷地買収に尽力している有力者がいた)は本件土地に着目し、これが非農地なることを熟知しながら本件土地の公簿上の地目が畑であり、所有者たる原告が上京区外に居住し形式的には不在地主所有の農地の観あるを奇貨とし、自創法第三条第一項第一号を濫用してこれを買収し中学校敷地の被買収者に売渡す計画を樹立したものである。現に本件土地の売渡を受けた者八名中の訴外広畑、同桑原、同長島、同八隅の四名は純然たる商人であり自作農創設を目的とする農地の売渡を受ける資格なきものであることからも這般の事情を窺知し得る。

なお洛北地区農地委員会の買収並売渡計画及びこれに基く被告の買収並売渡処分が一般に法規を無視し全く恣意的であつた事情を附言すれば、今井河原十番地の十七、畑一畝五分、同十番地の二十、畑四畝二十九歩及び同十番地の二十七、畑一畝十四歩並に同三十番地の三十四、畑三畝十四歩は自創法により買収されたがいづれも被買収者又はその子に売戻されていて結局買収されなかつたと同一になつている。又今井河原町十番地の一、畑七畝十歩、同十番地の三十二畑一畝十九歩の如きは名実共に畑であり、而かも不在地主の所有であるに拘らず買収されていない。

かように買収、売渡が一般に恣意的であり、而かも本件土地買収に関する前叙の如き事情とを考慮に容れれば本件買収売渡処分には明白重大な瑕疵があり無効と云わねばならない。

(2)仮りに農地であるとしても自創法第五条第五号の近く使用目的を変更することを相当とする農地に該当する。

本件土地は植物園の北隣りに在り、京都市内に於ては宅地として最適の地位に在り、もと一町三反五畝(四千五十坪)あつたものを中央に道路を敷設して宅地とし分割譲渡し既にその八五%に当る三千四百二十五坪は宅地となり此処に数十戸の家屋が建てられ新市街を形成している。残る一五%六百十五坪のみが未だ市街中の空地として現実に家が建てられず残つていた。これが本件の土地である。本件買収なかりせば本件土地全部が宅地化されていた筈であつて、このことは本件土地及びその附近を一見すれば明白である。

又今井河原十番地は荒蕪地の松林で農地としては無価値であるが、将来より宅地化する見込の多いところより投機の対象となり所有権は土地思惑者の間を転々としてきた、試みにこれを述べれば、元は訴外有吉三吉(官吏)の所有であつたが、明治四十年七月八日訴外飯田新七(高島屋)、明治四十四年三月十八日訴外川合弁次郎、大正四年二月六日訴外深田政太郎、大正六年十一月二十九日訴外多田孫四郎、訴外宮崎徳次郎、同宮崎虎一三名の共有(この三名は郊外地の思惑師として知られた人々である)、大正八年二月二十一日右宮崎虎一の持分を右多田孫四郎が譲受け、同年六月六日右宮崎徳次郎の持分を原告の父三宅清太郎が譲受け、この両名が共有となつて前述の如く地内に道路を敷設し宅地化して分割譲渡し残つたのが本件土地である。昭和八年五月十九日原告は右多田孫四郎よりその持分を譲受け、昭和二十一年十一月二十九日父清太郎の持分を原告が相続し原告の単独所有となつたのである。これによつても本件土地が宅地として適当なものであることが判る。かくの如く本件土地は自創法第五条第五号の近く使用目的を変更することを相当とする農地に該ること明瞭である。尤も本件土地については同条同号の指定が為された事実はないが、右該当地の指定は覊束行為であつて自由裁量行為ではないから、土地の客観的状態が近く宅地と為すを相当とするものと認められる限りはこれを該当地として指定しなければならない義務があるのである。従つてその指定なくとも本件土地の如く近く土地使用の目的を変更することを相当とする客観的状態を備えるものを買収することは無効と云わねばならない。よつてこれが無効なることの確認を求めると共に買収並売渡登記の抹消手続を求めるものである。被告の答弁に対し本件土地は耕作の用に供したことなく、仮りに戦時中又は終戦直後食料欠乏の時期に近隣の者が松の木の疎らな樹間の空地を利用して所謂一坪菜園的利用をしたとしてもこれが為に松林が変じて農地と見るは当らず土地全体は依然として松林であると述べた。(立証省略)

被告指定代理人は原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする旨の判決を求め、答弁として、

原告主張の各土地をその主張の如く洛北地区農地委員会の買収並売渡計画に基き被告が買収、売渡の処分を為したことはこれを認めるが売渡計画は買収計画よりも後に為されたものであつて原告主張の如く中学校敷地の代地捻出の為に為したものではない。本件土地に成育せる松の木数は僅かに十数本で原告は本件土地を買収当時家庭菜園として近隣の者に耕作さしていたのであるからこれは農地にして小作地と云わざるを得ない。而して原告は買収当時左京区に住所を有していたのであるから自創法第三条第一項第一号により当然買収を免れないものであつた。又本件農地の売渡に関しても売渡を受ける者を農業に精進する見込のある者として同法第十六条により適法に行つたものであつて原告主張の如く非農地を農地としたとの主張は当らない。仮りに本件買収並売渡処分に些少の瑕疵があつたとしても取消原因となり得ても無効原因とは云えない。又同法第五条第五号に謂う「近く」とは同法案の議会での審議によつても明らかである如く買収の時期より一年位の間に使用目的を変更することが必然と見られることを云うのであつて何時宅地化されるかわからないようなものはこれに当らない。本件農地は買収時期にかような見込のなかつた土地であるから同条同号に該当するものとは云えず、又同号の指定が原告主張に従い仮りに法規裁量に属するとしても、指定処分を怠つた違法があるに止まりこれが本件買収の無効原因となるものではない。原告は既に出訴期間を経過して右違法をも争えないのであるから原告のこの主張も失当である。なお原告は登記の抹消手続を求めているが右の如く適法な処分によるものであるから理由のないところであるが、更に被告にはかゝる登記抹消手続を為す権限はない。

と述べた。(立証省略)

理由

別紙目録記載の土地が原告の所有であつたところ被告は京都市洛北地区農地委員会の樹立した昭和二十二年七月二日を買収期日とする買収計画及び売渡計画に基き、自創法第三条第一項第一号該当小作地としてこれを買収し、別紙目録記載の如く売渡す各処分を為したことは当事者間に争のないところである。

そこで右買収並売渡処分につき原告主張のような無効事由が存するかについて判断する。先ず本件土地が農地と言い得るかについて考えてみるに、証人宮崎徳次郎、野村光子、谷卯之助、平義衛、百瀬生彌、山本志う、広畑伝治郎、桑原寅之助、長島甚三郎、北波羽右衛門、溝川亀太郎、金田彌栄蔵の各証言及び現場検証の結果に成立に争のない甲第一号証の一乃至七、同第五号証の一乃至九、同第六号証の一乃至九を綜合考察すれば、本件土地は賀茂川の北大路橋より北方約一粁の川東附近に在つて、大正十年頃同川堤防の築造河川改修が為される迄は同川の増水により屡々浸水し半ば河敷の観を呈した土地であつて大正七、八年頃当時の所有者によつて若干の土を搬入して一帯に松が植栽されたが流水に浸され来つた為に砂や石塊が多く地目は畑となつているが農耕に全く適せず原告の所有するに至るまで未だ農地として使用されたことなく五、六十本の松林を為し一面に小笹や雑草が密生するに放置されてきた。ただ大東亜戦争による食糧事情の急激な悪化に伴い戦時中より戦後に及び近隣の非農家の人々が原告の許諾の下に所謂家庭菜園としてこれを使用したが、それとても一面に生育せる松の樹間の陽の当る若干部分の土地を選び石塊を取除き多大の労を払つたが、主として砂地である為雨水等も直ぐ地中え吸引され尚多くの石が混入しているので南瓜程度の作物を漸く収穫し得るに過ぎなかつたこと、従つて本件土地を含む今井河原町十番地一帯は大正十五年頃より漸次宅地化され本件買収当時僅かに本件土地を残すのみという状態であつて、現在の地価も坪当り三千円乃至三千五百円見当であつて常識的に何人もこれを農地と見ず又耕作適地とも考えていないこと、現在に於ても本件土地の売渡を受け畑としている者は極めて少く本件土地の南西部分等僅少面積にとどまりこれとても表土を搬入して耕作したのであつてその他の大部分は売渡処分後買受人によつて松は切られて二十数本の松が疎らに生えているが多くの樹根を残し土地に凹凸ありならされておらず耕作を可能にせんが為に土が他所より搬入され放置されている状態に在ることが認められる。のみならず本件買収当時京都市に於て加茂川中学校々舎新築の為その敷地を物色した上京区紫竹上ノ岸町附近の土地を買収する議が生じたが土地所有者の強い反対の為に替地を与える必要に迫られ農家たる土地所有者に対しては伏見に在る元十六師団練兵場跡を提供したが主として非農家である残余の土地所有者であつた本件土地買受人等に対する替地の提供に窮していたところ本件土地を発見し本件土地が地目上畑となつており前述の如く若干部分家庭菜園として近隣の人々が使用していたところより学校敷地として買収される土地所有者の替地として充てる為に洛北地区農地委員会に於て自創法第三条第一項第一号によつて買収計画及び売渡計画が樹立され本件各処分が為されるに至つたこと而して買受人は概ね買収当時乾物商、守衛、保険外交員等の非農家であつて、戦時中及びその後の食糧事情窮迫の為に所有地に於て家庭菜園をしていた程度のものであることがそれぞれ認められ、以上認定を妨げるに足る証拠は存在しない。甲第五号証の一乃至九と同第六号証の一乃至九を対比考察すれば当初売渡期日は昭和二十二年七月二日となつていたところこれを取消し昭和二十五年十二月二日としていることが認められるが、これによつても右買収動機に関する認定を妨げるものではない。

以上によれば本件土地は買収処分当時到底農地と言うことができないものであつたこと明白であり加うるにその動機に於ても自作農創設を目的とする法律の趣旨に著しく背くものであつてその違法は重大且つ明瞭であるから本件各処分の効力に関しては原告その余の主張につき判断する迄もなく本件買収処分及び売渡処分が無効であること論を待たざるところである。

次に買収、売渡各登記の抹消手続を求める原告の請求につき案ずるに、右請求は行政処分そのものの無効確認を求めるものではなく右買収及び売渡処分の無効を前提として所有権に基きこれを求めるものであること明白である。而して斯かる請求が行政事件訴訟特例法第六条にいわゆる関連請求であるとしても同法第三条によれば本件のように行政庁たる知事を被告として訴求しうる訴は同法第二条の訴(抗告訴訟)に限られるのであり、行政処分無効確認訴訟はそれが抗告訴訟であるかどうかは免も角とし行政処分そのものの違法性を訴訟の対象としているから何人を被告とするかの点で抗告訴訟と同様の取扱をなすを可とするも(最高裁昭二九、一、二二第二小法廷判決)行政処分が無効又は取消されたことを前提として原状回復を求める訴の如きにまで同法第三条を適用するものと解する余地なく他に処分行政庁に対してかかる訴求をなし得べきことを定めた規定も存しないのであるから、国に対してこれを求むるは格別行政庁たる被告京都府知事に対して求めることは許されないところと云わねばならない。従つて原告のこの訴は不適法であり、却下を免れない。

よつて原告の本訴請求中無効確認を求める部分は正当であるから認容し、登記抹消手続を求める訴は不適法であるからこれを却下し訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条第九十二条を適用して主文の通り判決する。

(裁判官 宅間達彦 木本繁 林義雄)

(目録省略)

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